大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和57年(オ)330号 判決

上告人

高銀桂

上告人

玄貞烈

右両名訴訟代理人

宇賀神直

被上告人

大阪市

右代表者市長

大島靖

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人宇賀神直の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らしてこれを是認することができる。右事実関係のもとにおいては、本件事故は、邦勲の無軌道な行動に起因するものと認められ、ことに本件外濠及びこれに接する石垣が大阪城公園の一部であるとともに、いわゆる特別史跡に指定されている大阪城跡内にあること等諸般の事情に照らすと、その構造及び場所的環境から通常予測される入園者の石垣からの不用意な転落事故の危険を防止するための設備としては、本件の柵ないしウバメガシの生垣をもつて足りるというべきであるから、本件事故が本件外濠の設置、管理又は保存の瑕疵によるものではないとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(安岡滿彦 横井大三 木戸口久治)

上告代理人宇賀神直の上告理由

原判決には判決の結果に影響を与える法律解釈の誤りがあるので破棄されなければならない。

第一、国家賠償法第二条の解釈適用の誤りについて

原判決は邦勲の溺死について、本件外濠の管理の瑕疵によつて発生したものとして管理者の責任に帰せしめない、と判示している。しかしこれは重大な誤りである。

(一) 原判決が管理者の責任に帰せしめることができない、とした理由は、

(1) 本件外濠付近は特別史跡であるところ、文化財保護法八〇条により現状不変更が原則とされている。

(2) 従つて、本件外濠付近の危険の発生防止のために、必要な設備をもうけるには自ずから制限がある。

(3) そして本件外濠、石垣の場所的環境、実情から通常予想される危険は石垣からの転落事故の危険であるから、大阪市としては右危険を防止するために必要な設備をなすべく、又これをもつて足り、立入りの規制に従わず、本件外濠や石垣付近で動物捕獲行為をなす如き行動に出る者のあることを予想してこれを防止する設備まで設ける必要があるものではない。

(4) 大阪市が設けている有刺鉄線を張つた柵あるいは高さ0.9mの鉄柵は、通行者等がみだりに本件外濠及び石垣に立入ることを規制する設備としては、これをもつて足りるものというべきである。

(5) 邦勲は児童公園など適当な遊び場があるにもかかわらず、わざわざ立入りを規制されている本件外濠及び石垣付近に立ち入り、禁止されているザリガニ取りをして遊んでいるうちに外濠に転落し溺死するに至つたものである。

この事故は特別史跡たる本件外濠、石垣付近の場所的環境利用状況からすれば、大阪市において通常予測しえない邦勲の異常な行動に起因するものというべきであつて、このような事故に対してまで営造物の設置管理に瑕疵があるものとして管理者の責任に帰せしめるべきものではない。

ということである。

(二) そこでこの判示理由の不当、違法性を逐一明らかにする。

(1) まず前記(1)の本件外濠は特別史跡であるから現状不変更の原則がある、ということはその通りである。しかしその趣旨は、外濠そのものを変更しないでできうる限り現状のままで保存しておく、ということであり、特別の事情があるときはその外濠を変更すること、外濠そのものの変更ではなく危険防止などのために、外濠の近くに設備を設けること、はこの原状不変更の原則に反しない。

(2) 従つて、前記(2)の危険発生防止のために必要な設備を設けるには自から制限があるということも、一般論としては肯定できるが、危険発生の可能性のかねあいで、どのような設備を設けるべきか、という問題である。

特別史跡であるので現状は変更できないという原則を前面に出し、それを貫徹しようとするならば、その史跡、本件でいうと外濠及び石垣付近への一般人の立入りを全面的に禁止し、その禁止を実行するための設備を設けなければならない。

しかし、その全面的な立入禁止の措置をとらない限り、危険発生が考えられる限り、その危険発生防止の設備を設けなければならない。

特別史跡であつても人の生命に影響を与える事故が発生する危険性を有することがあるわけであり、そうであるならば、その事故防止の措置をとらなければならないのである。

危険発生防止のために必要な設備を設けるには、自ずから制限があるからといつて危険発生が考えられるのに、その発生を防止することについて手を抜いてもよい、ということにならない。

(3) さて、本件外濠について如何なる危険の発生が考えられ、その防止のためどの程度の設備を設ける必要があるか、という問題であるが、前記(3)の判示理由は正しくない。

まずどのような危険が発生するか、であるが、石垣からの転落事故であることは判示の通りであるが、外濠は深さ一メートルの水があるので幼児、年少者が転落すれば溺死する危険もあるのである。従つて、そこで幼児、年少者の石垣からの転落事故を防止するためには、石垣そのものに立入ることができない設備を設けなければならない。

大阪市がこの石垣近くに有刺鉄線の木柵を設けたのは、この幼児、年少者の石垣への立入りを防止するためのものであることは明らかである。

検甲第一号ないし一八号証に写つている破損している有刺鉄線の状況をみても、この有刺鉄線は石垣付近への立入りを防止するためのものであることを裏づける。

又本件事故後に設置した有刺鉄線の木柵(検甲第一九号ないし二七号証に写つているもの)の状況をみても、石垣付近への立入り防止のためのものである。

そのことは、大阪市としても石垣から転落して溺死などの事故発生の危険が発生することを予測していて、この有刺鉄線を設けたのであることを証明する。

原判決は、外濠や石垣付近で動物捕獲行為をなすごとき行動に出る者のあることを予想して、これを防止する設備を設ける必要はない、と言う。しかし、この外濠で、現に魚取りなどがやられているのである。(検甲二八―三五号証に写つている)そのことを、公園管理事務所の職員は知つておりこの行為をしている者に出合つたときは注意を与えているのである。大阪市が「危ない」「石垣に近寄らないで下さい」という立札を掲出していることは、その魚取りなどして溺死する危険が発生すると考えていたからである。もちろんこの外濠自体は特別史跡であり、魚取り、水遊びを目的として設備されたものではないが、検甲二八―三五号証に写つているように、多数の者が魚取りをしている状態になつているわけであるから、幼児、年少者が溺死することもあるのでそれを防止するために石垣に立入ることができないように設備を設ける義務があるというべきである。

(4) 原判決は、大阪市が設けている有刺鉄線を張つた柵あるいは高さ0.9メートルの鉄柵で設備としては十分であると言う。

(イ) しかし、本件事故発生当時の有刺鉄線を張つた柵はどうなつていたかが問題である。

事故発生一〇日後に撮つた検甲第一〜一八号証の写真に写つている状況は破損したまゝ放置されており石垣付近への立入りを規制する機能を全く有していない。

検甲第一は、東端のものである「危ない石垣に近寄らないで下さい。大阪市」という立札があるのみ、同二は古い有刺鉄線の柵が三本あるがその西側は全く破損されて出入りが自由、同三は破れた鉄線と木柵が放置されており出入りは自由、同四も同じ同五、六はかろうじて有刺鉄線の張つた木柵が立つているだけであり、同七、八ないし一六は木柵を取り除かれたまゝである。

これでは「有刺鉄線を張つた木柵」の設備があつたことにはならない。その存在すらしていない。このことは原判決も認定しているとおりである。そうだとすると、原判決の判示するように、この木柵あるいは鉄柵でもつて「設備としては、これをもつて足りるものというべきである」としても、その足りる設備さえしていなかつたものである。

(ロ) 原判決は、「右の有刺鉄線は修理が十分になされないままであつたものの特別史跡を原状のまゝ保存する見地からは通行者等がみだりに本件外濠及び石垣に立入ることを規制する設備としてはこれをもつて足りるものというべきである」と言う。

原判決は有刺鉄線の木柵0.9メートルの鉄柵で一般人が近づくことを規制しているといつて大阪市の設備は十分といいながらその設備が破損してその用をなしてないにも拘らず、これでもつて足りるとしている。

これは矛盾ではないか。

有刺鉄線の木柵又は鉄柵で足りるというのなら、それなりに理解できるが、この木柵は破損していて原判決が「本件事故当時、本件事故現場付近では自由に本件外濠の縁まで近づきうる状況にあつた」と事実認定しているとおりの状態であつたのである。この状態でも足りるというのは矛盾という他はない。この状態は、有刺鉄線を張つた木柵が設備されていなかつたことなのである。

原判決は、有刺鉄線は「修理が十分なされないままであつたものの」と言うが、修理が十分なされていないのではなく破損したまゝ放置されており、有刺鉄線を張つた木柵は存在しないのに等しい状態であつたのである。

更に原判決は、この修理が十分でなくても「特別史跡を原状のまま保存する見地からは」外濠及び石垣に立入ることを規制する設備として、これでもつて足りると言うが、特別史跡を原状のまま保存するというのであれば、有刺鉄線の木柵の設備すら不必要ということになる。

有刺鉄線の木柵を破損したままで放置しておくことが「特別史跡」を原状のまゝで保存することになると考えているのであろうか。

大阪市が事故後に新しく有刺鉄線の木柵を設置した(検甲第一九〜二七号証の写真)のは何のためであろうか。原判決の論理でいくと、特別史跡を原状のままで保存する見地に反することにならざるを得ない。

(5) 原判決は、児童公園で遊ぶことができるのに、立入禁止の本件外濠及び石垣に立入つてザリガニ取りをして転落して溺死した。これは大阪市において通常予測しえない邦勲の異常な行動に起因するものであり、管理者に責任がないと言う。もちろん、この危険なところで遊ばないのが良いことは間違いない。しかし、現実は大人、小人が魚取り、ザリガニ取りをしているのである。そのことを大阪市の当局職員は知つていたのである。この場合、小人が石垣から水面に転落し溺死などの事故が発生することを予測し得たのである。

邦勲がザリガニ取りのために石垣から水面に下りていくことを原判決の言うように異常な行動ということはできない。幼児、小学校の低学年の児童などの遊びは大人では気がつかないことをするのである。だからこのような幼児、児童が遊びに来ていることもあるときは、本件のようなザリガニ取りをすることもあるので、それを防止するため、石垣付近への立入りができなくする設備をしなければならないのである。

仮に、本件事故発生後に設けた有刺鉄線を張つた木柵を設け、さらに危険だから立入るな、の立札を掲示していたならば、邦勲程度の児童(九才)は石垣に立入ることはしなかつたことは断言できる。

その有刺鉄線の木柵が破損したままで放置しておいて、新しく設置しなかつたことによる本件事故の発生についての管理者の責任は重大というべきである。

原判決は、こんな所にザリガニ取りに来て溺死したということで管理者の大阪市に損害賠償の責任を追及するのはもつてのほかだという考えがあるのかも知れない。しかし、これは、このような危険発生の外濠を管理する者に対して余りにも甘く被害者に対しては過酷すぎると言わなければならない。第二、民法七一七条の解釈適用の誤りがある。

原判決は、大阪市に本件外濠の設置又は保存に瑕疵があつたとは認め難いという理由で、民法七一七条による予備的損害賠償請求を斥けた。

本件外濠が民法七一七条の土地の工作物に当ることは明らかであり、前述のごとく遊んでいる子供が石垣から濠の水面に落下し、その結果溺死する危険がある。そのことは本件事故が発生したことからも言える。このことは、その保存に瑕疵があつたと言うべきである。

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